林農産の意外な秘密
1992年11月に、天皇杯をいただいた時の再現コンテンツです。
林さんちの社長が「食と命を伝える使命」に気づくまでの七転八倒の物語です。
天皇杯って?
明治神宮で行われる新嘗祭に合わせ、全国農林水産祭が行われます。 その時に「農産」「畜産」「水産」「林産」「村づくり」「園芸」「蚕糸・地域特産」の七部門で、 全国の色々な農業関係のコンクールで上位の中から、さらに功績のあった団体個人に贈られる賞です。 スポーツ等で天皇杯があるのは知っていましたが、、、、。

「誰にも世話になっていない!」傲慢だった林さんち
林さんちは、農業補助金に頼らない農業を目指していましたし、 その行政から賞をもらうのがとにかく嫌でした。天皇杯にノミネートされる事になった毎日新聞社の発表でも、 ジーパンとTシャツというラフなスタイルで、ギャグも飛ばしていました。

それでも農林水産大臣賞受賞
それでも、大規模経営、早くからのパソコン導入、 デザイナーからのUターン等が認められ受賞しました。 受賞の挨拶に県庁を回れと言われ反発していました。

まさかの天皇杯受賞
全国で農業関係の賞は500以上!あって、 その中から選ばれるのは不可能に等しいとタカをくくっていたのですが、甘かった。

天皇皇后両陛下は、いい人だった!
天皇杯を受賞しても、30歳になったばかりの欲しくないアンちゃんにあげたものだから、 それに反発ばかりしていました。でも、天皇皇后両陛下にお会いし10分程話す機会があったのは、 とても良かった。会うに際しても、御人柄を感じさせるエピソードが沢山ありました。

天皇杯シンドローム
受賞してからは、諸々の行事や取材で自分の時間が取れず、イライラしどうしで、 祝賀パーティーを何百万もかけて開催したりで大変でした。

バチが当たる
そんな調子で天皇杯をぞんざいに扱った結果、やはりバチが当たり、 ボーイズが怪我をしたり私の母が乳がんで入院したり、最後は、 私がバイクレースでアバラを5本折って入院。病院の白い天井を眺めて 「一体これは、なんなんだ?」と考えました。

食と命を伝える使命
たどり着いた結論が、「天が私に食と命の大切さを伝える使命を与えている」でした。 そして「皆さんのお陰で生きていられること」を痛切に感じました。なんとか退院してからは、 多少謙虚に、そして積極的に農業について語るようになりました。子供達への稲作体験授業、 各種講演活動、そして、このインターネットでの情報発信も、その一つとして取り組むようになったのです。

10年間、お笑い系には身分不相応と封印してきた天皇杯受賞ですが、 今回10年目の節目として封印を解くことにしました。ようやく受け入れられる歳になったと言う事でしょうね。

詳しくは、メルマガ2002年如月2号に、たっぷり載ってます。ご覧下さい、、、(^○^)